ロハスにみる贅沢とは
贅沢を求めてやまない現代風潮ですが、なんとなく贅沢が手に入りそうな社会体系にみんなは躍起になってがんばる。
しかるに贅沢ってどんなことなのか。「貪欲に贅沢を求める」という一文に賛成する人、嫌悪感を抱く人とそれぞれだと思います。ロハスという言葉自体に胡散臭さを感じるひともいるのですから。
贅沢には二通りあり、「贅沢な生活」と「贅沢な人生」です。
これどちらもロハス的に達成することも可能。人それぞれのロハスがあって、そして贅沢にロハスを堪能していらっしゃる方々もいるようです。
贅沢な生活とは、ほとんどの場合、経済的に満たされており、資産を使うことに対して躊躇せず実行できる。そうすると自然と手に入れたいものを手に入れ、便利だとか、いいもの、ホンモノを手に入れ、生活水準も上がっていくような感じ。
ロハス的にいいものや本物を追求し、贅沢な自然を手に入れて職人によって管理してもらう。そして専属のセラピストやコーチによって自分の精神衛生も向上させようとするそんな贅沢な生活も含めて。お金持ちはこうしたロハスに関わる人に仕事を与えて、ムーブメントを持続可能にする手伝いをすることもできる。そうお金は持続可能なエネルギーだから。
こちらに向かうには事業の成功とか、何らかのチャンスをモノにしなければならず簡単とは言いがたい。
ならば、贅沢な人生とは、
「貪欲に贅沢な人生」を求めるということはどういうことだろうか。「贅沢」を感じるとは満たされているのにさらに満たされるような感じだろうか。この場合の満たされるとは、経済的な側面だけでなく、人間の関係性、そして自分の存在価値。そのようなものが全て満たされ満たされつづけるような贅沢。生活は質素かもしれないけど。
こちらはに向かうには「自分の解放」が必要になる。決断と信念、そして実行。自分がやればやっただけ満たされていくような感じがこちらにはある。
しかしこちらも、この決断や実行をしなければならず簡単とは言いがたい。
自分だったら、どっちの贅沢を選ぶ?
というかこれからの時代、どちらの贅沢のほうがハッピー!?
と問うた方が正しいかもしれない。
どちらにしろロハスは贅沢を選択しなければならない。満たされなければ与えられない。持続可能とはそういうこと。コップからこぼれるエネルギーのみを使っていく。しかしコップはこれまで程大きくない。でも大丈夫。
出会いとか、時間とか、空間とか、機会とか、お金とか、みんなロハス的に贅沢することを考えればいいと思う。そのモチベーションがエコロジーになる。
昨日は一日中何もしなかった。
朝目覚めてから、本も読まず、昼寝もせず、ただただ部屋にいた。
somaFMのdrownzoneの超アンビエントを聞きながら、ただただそこにいた。
晩ご飯を買いに近所のスーパーに行った。ご飯を食べた。
そして寝る前まで、ただただそこに居れた。
こんなになんにもしないなんてちょっと贅沢だと感じた。
たくさんのアイディアが浮かんだ。そしていろいろな計画のようなことも考えた。ちょっとワクワクとした。でも今日、それらみんな忘れてるようだ。あまり思い出せない。
ただただそこに居ただけだったのだ。
Posted by syn at 2005年11月08日 19:44
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