感覚は正しい。言葉で理解しない、説得されない
新しい価値観を見出し、それを受け入れていくと、どうしてもそれを受け入れられない人との対立が待っている。
対立とは、険悪なものもあれば、無関心なものもあるし、敵対的なものもあれば、理解されないという場合もある。
しかしここで自己の言い分を押し通すことには、冷静さが必要だ。
何事もそうだが、話の上手い人がいる。
話のうまい人は、理論的に言葉のストーリーを組み立てて、自分の論証が如何に正しいかと説明、説得してくるだろう。
そしてその場では、「そのとおりです」としか言えなかったりする。
「正論」という言葉があるが、理論的に正しく説明されたことはきっと間違っては無いし、それは正しいんだと思う。100%当てはまらなくても、概ね「そのとおりです」ということに落ち着くかもしれない。
ここが小さな落とし穴である。
言葉に説得されたことが、自分の思いの道筋を変えるのであればそこは冷静にもっと「感覚」にも頼ろう。相手の「正しさ」を受け入れそれを「ヒント」もしくは「情報」として乗りこなし、自分の進めてきた「感覚」「直感」のラインに飲み込めばいい。
ゴールへの過程はそのような障害がたくさんある。
しかし障害は次のステップの道具となる場合が多い。つまり障害物をひとつひとつ飲み込み、自分の道具とする。それは次の障害に必要な道具となることが多い。
多くの情報や他人の説明、そしてあなたへの助言。全ては「ヒント」でしかない。
なぜなら、あなたが決めたコースを選択するのはあなたしかいないからである。
「恐怖」を持って、「ヒント」を「コースそのもの」として取り込むと、意外と回り道になる。しかしそれも致命的というわけではない。また帰ってくるルートもあるからだ。
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自立とは、そうした選択と決断を毎日繰り返し行うことである。
助言を飲み込み、しかしその通りにしない選択をした、そして失敗した。「ほら言ったじゃないか」ということになった。ここで助言とあなたの選択ははじめて一致する。そして助言の通りにやってみる。「成功した」。
この最初から「助言」を選択するパターンと、失敗後に「助言」を選択するパターンは、どちらも正しい。しかし後者の方が「助言」の内容を新しい道具として高い価値となっている場合が多い。それはきっと次の選択に生かされるだろう。
これは、伝統の知恵や、偉い先生の主張、そして頭のいい人の言い分を鵜呑みにせず、全てはヒント・情報として飲み込み、自分自身の選択の道具となるようにしたい。つまり感覚的にその「ヒント」が自分に何の価値があるのかを感じることということ。
全てが「成功」のためのヒントではない。「成長」という失敗のためのヒントも必要だ。
それを自分の感覚で処理することが、精神衛生をよくするヒントだ。
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逆説的に言うと、自分が「ヒント」を発する場合、相手が選択の道具となるようにという心構えがあれば、それはより一層相手の道具になりやすいだろう。
したがって、きっとあなたはそれを押し付けないだろうし、攻撃的にその正当性を主張することはなくなる。
あなたにとって正しかった、成功したことが、相手にとって正しいかどうかはわからないからだ。相手は今成功ではなく、失敗(成長)を必要としているのかもしれない。
全ては結果ではなく、過程で成り立っている。
一見、「成功」は正しくも華やかに見えるかもしれないが、それはひとつのシンボルでしかなく、それまでの「過程」そのものに、精神的価値がある。幸福も楽しみも全て「過程」にある。
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これで相手から発する「ヒント」「正論」、自分が発する「助言」「情報」。これらがマトリクスのようにただ飛び回り、飲み込めがいい。それは単なる「言葉」でしかない。「本当のこと」ではない。「本当のこと」は感覚的に進んでいる過程の今に潜んでいる。
言葉、文章、映像、が正しいと思われることを洪水のごとく発してくる。
感覚が埋もれてしまわないように、受け入れ方、飲み込みかた、発し方をもって、乗りかたを覚えよう。
Posted by syn at 2007年08月29日 21:29
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