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食事のあり方に日常感情を見るふと思いついたので、忘れないように書いておきます。 最近は、恵まれたことにいい食事をさせてもらっています。 このような食生活をしてみると、以前の食事のありようがとても忙しく面倒なものに映ります。「今日のごはんは何を食べようか!?」この思案に対する選択枝の多さ。今日の味覚に対して、なるべく違うものをと考えたり、あまり考えないと味の濃いものに集中してしまったり、とにかく空腹よりも味覚を満足させるために知らず知らずのうちに多大な努力をしているわけです。 あれも食べたいこれも食べたいという食欲を満たすことは、とても楽しい気分なこと。そして手軽に満足感が得られること。ですがこれが一生エンドレスで続くと思うと、どこかで小休止できないものか?とも思ったりします。 スーパーで買うのではない得られやすいもの、地域で採れるものや季節のもの、そういうものが巡ってくる。それを食する。このノンストレスな食生活でいくと、日常の迷いも薄らいでいきます。 もちろん玄米ご飯とごま塩の食生活がすぐにはじめられるわけではありませんが、それで満足する感覚というのは「あるな!」という思いがわいてきます。味気ない感じもしますが、心は充実している感覚は、多分作り手の感情もあるんだと思います。自分でそれを作るより誰かに作ってもらった玄米ご飯だからこそ、、という気持ちもあります。 今の食生活をはじめてから、1年くらい経つのですが、食事というものを空腹を満たすことと、味覚を満足させることに加え、気分を安定させることに繋がることを発見しました。 味覚はエンハンスされた、つまり誇張されたエキサイティングな味に中毒になっていることに気付くことも必要です。外食産業で覚えた味覚はとても化学的に作り出されています。それをご家庭でも実現させたい、、そんなニーズがスーパーなどでも多々売られていることがわかります。つまり新鮮でピュアな味がわかりにくくなっているという現実があり、自分自身もそれに気付きました。
たまに複雑!?な素晴らしい料理を食するのを否定はしません。でもそれはお祭り!感覚で楽しんで食べること。そう毎日毎食お祭りであるはずはないので、日常食はシンプルを意識するのがいいですね。 でも心配いらないよと言いたいことは、肉食を控えることから始まり、化学的な味覚を経つことに繋がり、華やかな料理に心奪われないようになるのは、決して「我慢」ではないということです。 シンプルとは、「我慢」ではなく、「必要なくなる」こと。そしてそれは「迷いがなくなる」ことでもあり、顕著に現実的に感じられるのが食事だった。。という発見です。 Posted by syn at 2007年12月13日 16:47
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