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真理とエゴこのところの一番の迷いはこれ。 正しいと思われることが、相手の欲求と違う場合、その正しいと思う方を主張することは単なる自分のエゴだろうか。 ただし、映画「ガンジー」のとあるシーン、、、 ガンジーが最初のアシュラム(村)をつくったとき、正しい生活の規範となるようにルール(戒律)を作った。 つまりそれが正しい行いであると信じていても、それを押し付けることはエゴであるということを、そのときガンジーは悟る。 真理はその人が気づいたとき、その人の範疇で正しいことであるようだ。
「正論」 その実際にそれは「正しい」、しかし、伝え方を間違うと期待している結果に落としこめないのである。 間違ったことをしている人は敵ではない。
全てのものに相反する性質が内包しているという真実が腑に落ちたなら、、 偉い、偉くない。うまい、下手、 金持ち、貧乏、 正しい、間違い、 愛、悪、 美しい、醜い 全体的に全て、相反する性質を内包している。その一瞬、そう見えても、相反する性質がまったくないわけではない。ということはつまり、偉い人だろうが、きっと偉くないこともあるわけで、、それが上手でも、あれは下手なわけで、全ての人はトントンになる。全て同じ、これを平等と言うのだろう。
自然共生生活も、それはそれで心地いいだろう、しかしきっとそうでない部分も多々あるだろうに。 お金があれば何でもできそうだし、実際、結構なことができし、人助けにも十分過ぎるパワーがある。しかし、その可能性と同じくらい大きな欠陥もあるようだ。 それがなくて困っているとき、きっと相反するエネルギーが存在しているだろう。それで解決できるようになれば、一生、何も困らないだろう。 Plobrem is Solution. 問題は解決なり パーマカルチャーのひとつの標語は、きっとそういうことだ。
Posted by syn at 2008年03月08日 19:39
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