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真理とエゴ

このところの一番の迷いはこれ。

正しいと思われることが、相手の欲求と違う場合、その正しいと思う方を主張することは単なる自分のエゴだろうか。
この世のほとんどのものがとくになくてもいいものであると感じており、それらを欲する相手の欲求を満たしてあげることが、その人のためにならないと考えてしまう。しかしそれ自体は正しいと感じているのだけれども、ある程度の要求を満たせるよう(満たしてあげるよう)に、必要以上の経済活動が必要になることが何か矛盾しているのではないかということ。

ただし、映画「ガンジー」のとあるシーン、、、

ガンジーが最初のアシュラム(村)をつくったとき、正しい生活の規範となるようにルール(戒律)を作った。
しかし妻はそれにしたがうことができなかった。具体的には便所掃除の順番が回ってきたのだが、伝統的にある階級意識によってそれを行うことに屈辱を感じ、できないと言う。
ガンジーはルール(戒律)はまもれ怒ったが、妻は「わたしはあなたのように偉くないからできません」という。

つまりそれが正しい行いであると信じていても、それを押し付けることはエゴであるということを、そのときガンジーは悟る。

真理はその人が気づいたとき、その人の範疇で正しいことであるようだ。
押し付けるとエゴになる。気づかせて相手の自発性がないと、その正しさも無意味となり、相反する嫌悪感が台頭してくることになる。



特に環境問題を扱うシーンにもこういったことが多く見受けられるような気がする。
確かにそれは正しいだろうが、押し付けられると反面教師になってしまうこともあるだろう。

「正論」

その実際にそれは「正しい」、しかし、伝え方を間違うと期待している結果に落としこめないのである。

間違ったことをしている人は敵ではない。
それは相手が間違っていると思っている自分のエゴである。


正しい、間違い、というベクトルでものを見ることをやめてみる。


自分の考えと、相手の考え。 ただそういうことだろう。
この世は必然として、全てに意味がある。間違いとい価値観の中にも正しい意味が存在するだろう。
そのときそのときで、それは正しくなったり間違いになったりするのかもしれない。



比較をやめること。

全てのものに相反する性質が内包しているという真実が腑に落ちたなら、、
つまり陰陽の性質、全てのものに表裏がバランスよくあるとすると、

偉い、偉くない。うまい、下手、 金持ち、貧乏、 正しい、間違い、 愛、悪、 美しい、醜い
それらをそう評価することがとても意味のないものとなる。

全体的に全て、相反する性質を内包している。その一瞬、そう見えても、相反する性質がまったくないわけではない。ということはつまり、偉い人だろうが、きっと偉くないこともあるわけで、、それが上手でも、あれは下手なわけで、全ての人はトントンになる。全て同じ、これを平等と言うのだろう。



俗社会は、どうも不快指数が高く感じる。
しかし、それは間違ってはいないのだろう。正しい部分も同じだけ存在しているのだろう。

自然共生生活も、それはそれで心地いいだろう、しかしきっとそうでない部分も多々あるだろうに。

お金があれば何でもできそうだし、実際、結構なことができし、人助けにも十分過ぎるパワーがある。しかし、その可能性と同じくらい大きな欠陥もあるようだ。

それがなくて困っているとき、きっと相反するエネルギーが存在しているだろう。それで解決できるようになれば、一生、何も困らないだろう。
それがなくて不幸だと感じるとき、きっと相反するエネルギーは満たされているだろう。それで幸福感が得られるのであれば、きっと一生幸せだろう。

Plobrem is Solution. 問題は解決なり

パーマカルチャーのひとつの標語は、きっとそういうことだ。

 

Posted by syn at 2008年03月08日 19:39 | トラックバック(0)
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