身土不二
畑を整理していました。
大根の間引きをして、オオサヤエンドウとグリーンピースを撒きました。大豆の収穫ももうそろそろのようです。夏の間にほったらかして雑草が多い茂った畑を整理するのは一苦労。春にあった畝もどこにいったことやら。そしてあちこちにジャガイモが葉をひらいています。そして大きな大根の葉っぱも見つけます。こぼれ種が成長していると、ちょっと得した気分ですね。
白菜の育成に失敗して、葉物は撒いていないのですが、来年の春のことを思い、こうさいたいの種を当たり入り面にたくさん撒きました。こうさいたいは去年はたくさん出来たのですが、あまり食べないんですね。でも種をたくさんとったので、菜の花畑になるように撒いたのです。春が気持ちよくなるように。
休憩でベンチに座っていると、ふと、身土不二という言葉の意味がわかりかけてきたようでした。
足を踏み入れて、土を触って、こうやって休憩して、畑と野菜たちと同じ空気をすって、畑と野菜たちと「今日はあったかくて気持ちいいっすね。」と共感していると、その場の一体感もさることながら、大きな意味での全体との一体感が感じられます。
そこから得られる原子(細胞)を備えた食物で体の原子(細胞)を作ると、ほんとうに彼ら(畑や野菜や大地)と同じ自分になれますね。原子は、口にいれて胃で消化されようが、吸収されようが、そのまま体中に回ります。
循環は何も排泄物を畑に戻すだけでなく、そうやって同じ環境を、ただ田畑や野菜たちと共感していることが大事なんだと思います。
なんだか地力が無いのか、肥料をやらないもので、野菜たちもそんなに大きくならないんですね。しかし小さいながらもその原子を備えているだけで、とても自分の体に大切だとわかります。
身土不二になることは、そういうことですね。
地産地消とごったになりそうでした(笑)
自給自足とまでいかなくとも、家庭菜園レベルでもこの身土不二な部分を生活の一部に持っていれば、いいことが起こりそうな気がします。食料を得るというレベルの話ではなく、もっといいものを得るためです。
Posted by syn at 2008年11月04日 09:47
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