自由に自然に自給自足パーマカルチャー生活つくり日記

 社会風潮 | マーケティングセキュリティ | ココロの思考記録 | ミスティック

嗚呼人生修行也

結局のところ自分の状況や、環境や、欲望や、身なりや、能力や、経済力にとらわれずに、またそれらに優劣や善悪の判断をつけること無しに人生をおくればいいようだ。

しかし、何をするにしても、その本当の純粋な動機のクオリティを保つことと、温和で怒らない、嫌悪しないこと、つまり常に非暴力でいることが人生のもっとも根幹的な意味のようだ。

純粋な動機から沸き起こる想いと言動と行動を常に一致させて、外的な影響に反応することなく、静寂に立ち振る舞うこと。これを日々の生活において常に行うことがつまり修行であり、生まれてきたからにはやり遂げて帰らなければならないことのようだ。

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便利になること

便利な道具を手に入れたり、便利な環境になると、あれもこれもできるようになるね。
でもあれやこれややらなきゃって思うね。

便利な道具や、便利な環境がなかったら、あれもこれもするには、物理的にできなかったり、時間がかかってできなかったり、めんどくさくてやらなかったりするね。

でも、こっちのほうが幸せかも。

便利なものが無いとできないことは、本来やらなくてもいいことなんとちゃうかな。

便利なことがあってできた、達成した喜びは、ただただループするから、また他の喜びや達成が欲しくなる。こつこつ作り上げていくような経過が必要になる。

でも本当は、もう全部あるんとちゃうかな。

達成しなくても、もう全部あるんとちゃうかな。

便利なもの、、、いらん。

YinYan Wave

YinYanとは、陰陽のこと。この世の中のシンプルなルール。この2次性についていつも心にあると、「理解」することを「覚える」ようになる。


何かいつも足りないと感じること、その分満ち足りているものを持っている。

何か不幸と感じることがあっても、同じだけ幸せな瞬間を過ごしている。

やりたいことを追いかけると、やりたくないことに追いかけられる。

何かを愛する気持ちがある分、何かを憎んでいたりする。

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真理とエゴ

このところの一番の迷いはこれ。

正しいと思われることが、相手の欲求と違う場合、その正しいと思う方を主張することは単なる自分のエゴだろうか。
この世のほとんどのものがとくになくてもいいものであると感じており、それらを欲する相手の欲求を満たしてあげることが、その人のためにならないと考えてしまう。しかしそれ自体は正しいと感じているのだけれども、ある程度の要求を満たせるよう(満たしてあげるよう)に、必要以上の経済活動が必要になることが何か矛盾しているのではないかということ。

ただし、映画「ガンジー」のとあるシーン、、、

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食事にひとつの発見~太陽エネルギーを食べるということ

実際にここ1年半ちかく、自然食品や自給野菜、マクロビオティックといった、天然ものの食事での生活をして、いろいろとココロが気づいたり、カラダが気づいたりしたことを、「ロハスな食事感覚」や「食事のあり方に日常感情を見る」などに記してきたのですが、最近読んだ本や、生活観察によって、食事の一番本質的なところを見ました。

それは太陽エネルギーを食べるということ。

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食事のあり方に日常感情を見る

ふと思いついたので、忘れないように書いておきます。
誰かのアンテナに止るだろうか。

最近は、恵まれたことにいい食事をさせてもらっています。
自給野菜と地産物でいただいてきた食材、ほとんどが野菜中心の食生活です。当然季節ものが多くなり、毎日の食材もバラエティに富むとはいかないわけですが、なんの不足感もありません。

このような食生活をしてみると、以前の食事のありようがとても忙しく面倒なものに映ります。「今日のごはんは何を食べようか!?」この思案に対する選択枝の多さ。今日の味覚に対して、なるべく違うものをと考えたり、あまり考えないと味の濃いものに集中してしまったり、とにかく空腹よりも味覚を満足させるために知らず知らずのうちに多大な努力をしているわけです。

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人生を楽しむの落とし穴

最近は人生をどう楽しむのか、何を有意義にするのかといった、クオリティオブライフ、人生の質についての関心が高まっている。最近と書いたが、実はここ50年くらいのスパンでの傾向である。

それ以前はそのようなことに関心が無かったのかといえば、そうでも無いと思うし、それぞれの時代で人は生きていたわけだから、それなりの自己実現的欲求もあるだろうし、それなりのビジョンを描いていたことだと思う。

しかしここ最近では情報というのもの風通しが良くなり、出版や放送はとてもよくディティールを極めて細かく伝達できるようになってきた。そういう技術革新を経た後のクオリティオブライフの考え方は、実はそのようなことをあまり考えないでよい人たちをも、考えたほうがいいよと言わんばかりの仕組みを作り出している。それは、

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社会の様子と自分自身

社会情勢がどうだとか、今の世の中はどうだとか、いろいろと嘆かわしくなることも多いかもしれない。
反対に今の社会はだんだんよくなっている。この世は素晴らしいと喜ぶこともあるかもしれない。

本当のところは、

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感覚は正しい。言葉で理解しない、説得されない

新しい価値観を見出し、それを受け入れていくと、どうしてもそれを受け入れられない人との対立が待っている。
対立とは、険悪なものもあれば、無関心なものもあるし、敵対的なものもあれば、理解されないという場合もある。

しかしここで自己の言い分を押し通すことには、冷静さが必要だ。

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消費者からの脱却

消費者

聞きなれた言葉だけれども、消費者とは何か。
経済圏内で生産されたものを消費する、つまり購入して使用する人を消費者という。
では消費者でない人というのはどのような人だろうか。
生産者?まぁ、そうなるだろうが、その生産者も別の面では消費者となる。

おそらく自分もあなたも消費者だ。
しかしこの消費者という枠にはまってしまい過ぎてはいないだろうか。

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負のエネルギー

時として負のエネルギーは最高のモチベーションを得る。
嫌悪、憎しみといった感情のパワーは理屈を省いて様々な歴史的事実を作り上げてきたし、また個人にとってもその力なくてはなしえなかったことも多い。特に成り上がりの起業家や大儀を成しえる人物にはアンチペアレンツといって両親に対する負のパワーを持つものが多いといわれる。幼い頃に得た仕打ちが負のパワーとなり、おとなになって発散する。

どこにエネルギーの源をもてばいいのか、、

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マインドリゾートという方法

このブログも母体はマインドリゾートというサイトからの派生である。
なにかコンセプトのようなものを分けて志向をわかりやすくしたいという考えがあった。

マインドリゾートでは、本業のIT屋がプロデュースするサイトであるが、迷走しながらも直線的な運営をしている。それは常識的なネットワーク、すなわち人と人を繋ぐコミュニケーションツールという側面にこだわらず、自己の内面にコネクトするインナーネット的な発想だった。

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生命地域主義(バイオリージョナリズム)とは

このバイオリージョナリズムとは、60年代後半のヒッピームーブメントからその末永の実践的ライフスタイルから体系づけられ70年代に提唱された考え方ですが、大まかには、自分達の住む地域特性を観察し、それを損なわないような、自然と人との相互依存による共生から、持続可能な社会や生活体系つくりです。パーマカルチャーの考え方ともシンクロしている考え方です。
アメリカではむしろこちらを元にライフスタイル運動をしている場合が多いようです。

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エゴロジー

エコなことをとやかく言ったり、環境や地球にやさしくしたりすることが流行っているのでしょうか?
自分も生活をパーマカルチャーな概念を取り入れて循環生活を心がけてはいるのですが、それが「エコロジーのためですか?」と聞かれたときに、「いやもっとエゴイスティックなものです」と答えてしまった。「結果としてエコにも繋がっているかもしれません」と。

やけに素直に言ったものだから多分本当だろう。

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バイオエタノールの憂鬱2

先日バイオエタノールの憂鬱という記事を書いて、なんとなく切なくなっていたところに、今度は、先進国がアマゾンの森奪う 先住民族の長老が訴えといったニュース記事が飛び込んできた。

なんとなく自分が想像している危惧がもっとスピード感を伴って現実化しているようだ。
毎年東京都の12倍の面積の森林アマゾンが開拓されていっている、それに伴い原住民はどんどん森(住む場所)を搾取されている、、のでそれを先進国!?の日本に直訴しにやってきたらしい。なんとかしてほしいと。

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ゴミ問題からみた自分の生活の環境問題

とあるドキュメンタリー映画を見て思った。

ゴミ問題について語っており、分別や再資源化、もちろん不法投棄やポイ捨てをやめるようなごくあたりまえのことについて触れていた。
とある若者がゴミ焼却場の現場見学をして感想を語った。

「不要となり捨てられるもの、もしそれが自分だったら不要となる自分が悲しい。そうならないように新たな役割を自分に与えて欲しい」

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バイオエタノールの憂鬱

最近バイオエタノール燃料の販売が始まったらしい。
石油枯渇の懸念から植物油からガソリン燃料の代替燃料として製品化された燃料である。原料は小麦やさとうきび。

石油に代わるガソリン代替燃料として、そして石油を使わないということで自然エネルギーというクリーンなイメージで登場。Co2排出量も少ないらしい。

しかし厄介なニュースも舞い込んでいる。

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小豆島にも天国!?

てんつく!?朝日新聞で知りましたけど、、元吉本興業のてんつくマンという人が小豆島に天国つくってるんだね。いろいろ行動的なことやっていますね。

沖縄の高橋歩さんといい、同じような世代の人が、いろいろ同じ指針で動き出しているのを聞くとうれしいですね。
どちらさんも広がりの輪をつくるのがとても上手な雰囲気です。

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野菜の需給調整について

今年は暖かい日が続いた影響で冬の野菜が豊作となり、各地の農家では値下がりを防ぐために野菜を大量に処分しています。つまり収穫前の大根等をトラクターで砕いて破棄するということ。
こうすることで市場の野菜価格下落を防ぎ、農家には破棄1Kgあたり13円の補助金が出るということ。
暖かい日が続くことで、大根が重宝される「お鍋」とかが家庭で作られないことも理由のひとつだとか。

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自由ってのは欲望にやさしくすること?

このブログの冒頭画像にも「自由に自然に『自分を持続可能』にするパーマカルチャー生活つくり」とか書いてあるけど、自由って言葉を時々思い巡らす。

自由って人によって様々な解釈があると思うけど、本当に黄金の自由を手に入れたいと思ったりする。本当の自由って何か?って思い巡らすと楽しい。

自分が自由か? あの人は自由か?
そんなことよりも、その時々で最高の自由を楽しみたいとか思う。

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宇宙とリンクする

旧暦の資料を見ながら考えた。
旧暦とは月の動きにシンクロして、地球と月の重力等の関係から、動植物や環境が影響される波を暦にあてがったもの。

ルドルフシュタイナーのバイオダイナミック農法も星と宇宙の関係から作物への影響力を考慮しながら行う農法。

今も昔も人は宇宙の仰ぎながら生きてきたんだろうと思う。

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都会のオンと田舎のオフ

久しぶりに東京は新宿のオフィスに来ている。
やぼ仕事をするために上京してみたはいいが、オフィスで仕事をするとやけにオンな気分になった。

オンな気分とは、いわゆる自分にスイッチが入った活動的な状態だ。
どこか懐かしくもあるこの感覚にふと不安がよぎった。それは、、、

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ロハスな食事感覚

田舎に引っ越してみて、地産の野菜を中心とした菜食ぎみの食生活をおくっている。
料理はもっぱら相方さんにやってもらっている。とても感謝。
ついでにといっちゃぁなんだけど、マクロビオティックや粗食料理の勉強を兼ねて実践しているという感じ。

そろそろ3ヶ月経つ。
何か変わったかというと、、

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田舎と都会の温度差

田舎に住んでみて2ヶ月、まぁそれなりにロハスな生活をしている。
循環を意識して、ほぼ菜食、農園と地産地消。それがあたりまえになってくると日々の生活はロハスなんて言葉を意識しなくなる。

つまりロハスってのは、ロハスでない日常にあってはじめてロハスなのではないだろうか。世の中の道理とも通じる。相反するものがあってお互いが際立ってくるような感覚。

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ホンモノのイメージ戦略

世の中には実に多くの「ホンモノ」の技術や発明が存在している。
そんな一端をご説明いただいく機会を得た。非常に感動した。多大な情熱を持って、現代の科学や伝統の知恵から本当に素晴らしいところをミックスして発明している。

農薬で汚染された土壌を改良したり、本質的に体にいい水を作り出したり、ゴミを炭化してエネルギーにしたり、自然エネルギーから電力を起こしたり。

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団塊引退と熟年離婚

もう1年半後には、団塊引退が始まる。
団塊の世代の方々が定年を迎えるのだ。そしてそれに重ねて熟年離婚が増える予想。これは年金の支払いが夫婦で半々になる制度が施行される。それは離婚後も継続されるということらしい。だから今は離婚しないけど、その制度の施行を待っている熟年夫婦が潜在的に多いということらしい。

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ロハス ミーム

ミームとは何か?
ミーム―心を操るウイルスという本を読んだ。マイクロソフトのワープロソフト「ワード」を開発した方の本だったんだけど書かれたのが1998年なんだけど、先に書いた「マーケティングセキュリティ」や「ロハスミッション」の概念に絶妙に則していて読んでいてちょっと興奮した。

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ロハスにみる贅沢とは

贅沢を求めてやまない現代風潮ですが、なんとなく贅沢が手に入りそうな社会体系にみんなは躍起になってがんばる。
しかるに贅沢ってどんなことなのか。「貪欲に贅沢を求める」という一文に賛成する人、嫌悪感を抱く人とそれぞれだと思います。ロハスという言葉自体に胡散臭さを感じるひともいるのですから。

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マーケティング セキュリティ

自分らしさとか、自由とか、そういったものを追求するときに如何に社会的コントロールを排除するかに意識することは有意義である。
もっとも身近に顕著なコントロール元は、広告である。
広告やマーケティング活動によって、様々な欲求や必要感を盛り上げられてしまう。このようなマーケティング戦略から自分自身を守ることをマーケティング セキュリティという。
マーケティング セキュリティを意識できるようになる最も手早い方法は、マーケティング本を数冊読んでみることだ。マーケティングというヒトくくりではいい表せないが、世の中のマーケティング活動は、様々な方法を推奨し、心理的要因をうまくつけ込んで来るテクニックが乱舞している。

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安曇野もロハスだったのか

10月25日発売のアエラ(AERA)に、ロハスの特集が載った。
ゆったり暮らすといった触れ込みで自分がパーマカルチャー修業をしている安曇野のシャロムヒュッテが取り上げられている。

そこに書かれていることは、いつもオーナーのケンさんから聞いていること。そしてシャロムの日常。あらためてその場のカルチャラルなクオリティの高さを感じさせられる。

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ロハス ミッション

一般にロハスが流行りつつあっても、それほど敷居は低くない。それぞれのロハスがあっていいので一概にも言えないのだが、ポールレイが推奨し志向している本来の姿を追及すると、ロハスの真摯な目的というとこういうことだと思う。

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ロハス系の矛盾

ロハスというマーケティングテーマは、簡単に言うと、地球や自分に優しい商品を2割~5割のコストプレミアムをもって、選択してください!ということだ。
デフレになっていく世の中に逆流して、価格アップを図るための施策でもある。
しかしその商品によっては、価格相応の価値があって、環境や生体にいいものもあるのでこのロハス マーケティング自体は悪くもなく正当なものであると思う。 が、、

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お祭りと家

このパラダイムは一体なんだろう。
最近、この「都会」「経済至上社会」が「お祭り」の会場であるという概念を明確に感じてから、とても気が楽になった。何度も同じようなことを書くかもしれないけど、これは非常に重要なパラダイムだと思うし、幾人もの人が自由を手にするきっかけにもなりえると思う。

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祭りの帰り道

昨日書いたエントリー「そろそろ祭りを抜け出して、、、帰ろう」を書いてから、何かいろいろすっきりしてきた。
都会の様相や、不条理な生活様式、大勢の人が行き交う六本木や新宿。正直嫌気がさしていたこれらのことを、受け入れることができるような気がした。
看板もネオンも、水商売のおねーちゃんも、あふれるタクシーも。。。

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そろそろ祭りを抜け出して、、、帰ろう

人が生き延びえる環境としての歴史的大前提となっているのが食料を生産できる土地ということになっている。そして都市は市場から始まって膨張しいずれ滅んできているらしい。

そして食料を生産できる土地に家がありそこがいわゆる田舎な住みかとしてのコミュニティがあり、都市とは「祭り」が執り行われている場所・コミュニティということが民俗学的に言われているということだ。これはパーマカルチャーセンタージャパンの設楽さんから聞いた話。

そう、都市とは「祭り」状態。
これ非常になっとくした。

我々は毎日毎日祭りを繰り返して生きているのだ。
しかし祭りが日常になってしまったので、それが祭りであることさえ気付かない。でもそういわれてみればそうだろう。店がたくさん建ち並び、いろんな場所で興行が行われ、人はお金を持っていろんなものを消費する。そして宴会をして、一喜一憂するような事柄も多いことだろう。


楽しい祭りを後にして、おうちに帰ろう

さぁ、また次のお祭りを楽しみにして、、、

と、なったときに僕にはすでに帰る場所さえないことに気付いた。
祭りの最中に生まれて、そこでそだち、オトナになって、しかしまだ祭りの最中で一喜一憂しているオメダタイ人生をおくっている。


都市的生活=市場経済上の生活をお祭りに例えると、自分の帰る場所が何なのかよくわかってくる。そうお祭りのやってない「家」があるところだ。そしてそこでは地域で食料を生産している。そんな場所だ。
はたして日本にまだ帰る場所が残っているんだろうか。
グローバリゼーションは地球全体でお祭りを開催しようとしている。お祭りのしていないところは無いか、いつも探しているようだ。
田舎にいってもいまや小さいお祭りだらけ。そうみんなお祭りだ大好きだから。

地味な生活よりも祭りだ祭り。って感じかもしれない。
しかし悲劇的なことに、帰る場所のなくなった人がたくさん都市にいる。
そもそも祭りの最中で生まれているんだものあたりまえだけど。


祭りを抜け出す感覚って、
山でパーティいって、踊るだけ踊って、いろんなことになって、そして昼頃にやっとの思いでへとへとになってテントに帰ってくるあの感覚。ChillOutな感覚だと思う。
テントには先に帰ってきている友達が超スマイルを持って出迎えてくれる。「おかえり!」っていってチャイでも飲むんだろう。


そうだよ、そろそろ帰ろう


ちょっとばかり、自分のテントを探して帰ってみよう。
そしてハンモックに転がり込み、空を見上げてみよう。
楽しい祭りだったーーーー!!って

そしてその晩ごはんは、仲間や家族で作ったご飯を食べて、そう時間の制限の無い日常へと帰る。時間は分刻みから季節刻みへと変わり、夜型から朝型に変わり、買うことをやめ作り出す。そこは自分達の家だから。

このCHILLOUTな感覚は、まさにロハスであり、終わりのある祭りを抜け出すことが、盲目的なストレスからの解放と、自己回帰につながる、誰もがやりたいことだ。
そうみんなそろそろ帰りたいんだろう。

しかし祭りを謳歌している人は、それでいい。充分に楽しめばいい。
でもあまり長く楽しんでいると、楽しみが楽しみだと気付かなくなるから、たまには帰れ。帰る場所のある人はより幸せだ。帰る場所のない人は探せ。きっとどこかにまだ「家」はあると思う。


そしてきっとまたいつか、祭りを楽しめばいい。
うまくそれを繰り返せばいい。祭りだけに傾向している人生だからストレスになるのだ。
ふと、後ろに歩き出していけばいい。人をかき分け突き進む。目をあわす必要はない。そしてだんだん人がいなくなってきて、だんだんと幸せそうにまったりとお茶を飲んでいるような人が点々と現れてくる。みんなのスマイルにちょっと照れながら。そう長い間「アガリ過ぎた」のはずかしさだ。でもそんなことはみんなもそうだったので別に恥ずかしがることはない。

どこでもいい、スマイルのあるところに入っていって、「ただいま!」と言おう。

「さっきそこで摘んできたよもぎで作ったよもぎ茶だよ。飲むだろ?」

「あ、はい。いただきます。」

「祭りはどうだった?」

「あーはい・・・いや、楽しかったすよ」

「まぁ、3日くらいゆっくり寝て、、、今度の彼岸には収穫があるから手伝っておくれ」
「あーそろそろ夜冷えるから、温泉はよくあったまれよ」

「はい・・・」
「あの、ここは僕の家ですか?」

「あそこの丘にでも家自分でつくれぇ」「それまでは居てもいいから」


泥だらけのズボンと靴を早く脱ぎたいだろ?

ロハス テック

ユビキタスというテクノロジー概念が生まれてからすでに15年が経過しているってご存知だろうか?

最近、携帯電話や携帯端末の普及によりそのユビキタスという言葉が使われ始めたが、IT屋な商売をやっているとやけに耳につく。

今後ロハスでマニアックスなライフスタイルをどう生み出そうと考えるときにひとつの選択が必要となる。
それは、これまでのテクノロジーや科学のどれを持っていこうか、持ちつづけようかということである。
進化してきたテクノロジーを捨てて、過去に回帰するという手法もあるだろうけど、それであればその人だけの世界になってしまい、社会や地球にとってはロハスではない。

これまでの流れを逆流することは困難だ。

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「気」の向く方向

自分が真実に何に「気」を向けているのか。
人は皆、自分の向けている「気」の方向にあるものを手に入れている。
それは必ずその人の手中にあり、生活はそれに満たされている。

さてでは自分は何に「気」を向けているのだろう。

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夏の終わりとともに旅も終わる

久しぶりの投稿。実はパーマカルチャー建設予定地探しや、様々な人に会いにとかで、この夏は、富山、岐阜、長野、山梨、北海道と、いろんなところに行って、そして出会って、感動して、傷ついて、楽しんで、アガって、凹んで、たいへんだった。
ちょっと疲れたけど、やっと今日くらいから、目が覚めてきた感じ。

現実と、自然と、スピリチュアルに、サイケデリシャスに、そしてハートフル&ピースフルな夏だった。旅の詳細はまたどこかに書くとして、全体的にまだまだ日本にも、いろんな人がいろんなライフスタイルを自由に謳歌しているってことが事実として確認されたこと。

そして我々がココが社会だと思い込んでいるところが、全体的に見ると非常に小さい枠組みの中でひしめき合っているということ。
みんながみんながそこを信じて、中心へ中心へと埋没していっている。それは安心でもあり悲しみでもある。

足を伸ばして、空を見上げられる場所が、後ろにある。しかしそれは信じる事が困難なようだ。
今流行りかけている「ロハス」ってのも、単に、その社会の枠組み無いでなんとかしようよという安易な方向に向いているモノと、そうではなくナチュラルの本質にむいているものと2極化している。
人々は何かを信じたいからシンボルが必要だ。
人はみなシンボルを目指して突き進むから。

しかし自然に即した本質的な自由を謳歌するということは、そのシンボルさえ無いということに気付いた。迷うし、わからないし、そして怖い。
でもそれを乗り越えたところに、素晴らしい生きる意味が横たわっている。
乗り越えるという感覚は、「何もしない」って感覚に近い。これはかなりディープだ。端から見るとあくせくと日常を生きているように見えるんだけど、本質的には「何もしていない」。
日常を過ごしている、考えている、動いている、って実は・・・・

やばい!

それは気付いたというよりも、ふと一瞬だけ、僕の感覚を撫でていった感覚。だから今はすでにそれを思い出せないかもしれない。

なぜ、「気付きの感覚」 ってのは、記憶として持続しないんだろう・・・


いつまでもサンダル履いてる場合じゃないな。
ちょっと今夜は冷えるよ。すこし寂しい・・・

百姓DNAの記憶を観察

パーマカルチャーが面白い。自給循環境生活とでもいったそのコンセプトは、あらゆる自然のエネルギーを効率的に配置し、人は自然に同化し生活する。
そこから得られるのは心身の豊かさと充実感と、なにより安心感と満たされたセンスオブワンダーであろう。それ以上の何が必要なのか・・・

しかしこのパーマカルチャー的な自給循環境生活のコンセプトに感銘しても、それが新しいものではない。オーストラリア人が体系化したこのコンセプトも、太古から存在している自然の挙動のデータを再編成したものだ。

あらゆる角度から良くできたものだけど、日本の百姓もそんなことは百の承知だといい伏せるだろう。みごとな情報の再構成ではあるが、そこにある知恵は百姓によって代々受け継がれてきたものの中にもたくさん存在している。

僕は日本人のアイデンティティとか知恵といったものは百姓のDNAの中に脈々の流れ受け継がれているような気がする。それが経済的に価値の無いものである場合、今の社会構造ではその知恵が表に出にくい、あるいは封印されてしまう。

なぜなら、我々がお金で買い、お金でサービスを受けていることが、自然界の中ではあたりまえに存在しているからである。そうお金で買わなくてもそれは手に入れられ、そういうサービスは自然から享受できる。しかしこれでは経済的メリットが低いので権力者は封印してしまうだろう。

そうその封印された知恵やDNAの記憶を自分たちの生活に蘇らせることが、パーマカルチャーにはセンス良く見出されているところがすばらしいのだ。
お金で得られるよりもすばらしいものが自然から得られる。ただちょっと待たなくてはいけないというデメリットはあるものの、手に入れたものはきっとすばらしいものだろう。

我々がロハス的に生活を充実させたいと願うのであれば、日本人の百姓のDNAに敏感になり、封印されたものを貪欲に再度探し当て、情報として知恵として、自分たちの生活に蘇えらさせさえすればいい。

百姓とは農業を営む農民のことではない。生活に関わる百の知恵を持った者という意味だ。百とは100個という意味ではなく、ありとあらゆる太古からの記憶と知恵を数え切れないほどDNAに刻んでいるという概数だ。
そんなスーパーな人がまだ日本には残っているし、それを志している人も少なくない。それは完全には封印なんかされえない。完全に封印するということは、人類全体が痴呆になってしまうということだ。


バブル期に日本に伝わったパーマカルチャーが当時賞賛をあびることは無かったのではないだろうか。百姓に代わる新しい知恵の時代の到来をみんな疑わなかったから。でも今になって、目が覚めて、同じようなルーチンライフをいつまでも続けることなく、百姓の知恵のまず百個からでも自分に取り戻すことが、豊かであり幸せであり、そして何より、子供を安全に育てられ社会を安全を取り戻すことになると勝手に思ってみたりした。


今のロハスの体裁は、「本質的にいいものを買おう!」という意味だ。
本質的にいいものは確かにイイモノだが、買うことはない。自分で創る、自分で生み出す、そして地域で共有することが、皆が口にだせないロハスの本質である。
まだ経済社会の呪縛から逃れるには相当の勇気がいるけど、これから2極化する社会において、ロハスも本質的には2極化する。
買うものと創るものとに。これがうまく需要と供給であればいいのだが、創るほうがそれを売り出すかはまだわからないところである。

ロハスハイエンド

ロハスが流行!?
もしもあなたが、
今の生活のままロハスっぽくしたい! とか、
今の生活にロハスな要素を取り込みたい! とか、
思っているのであれば、それはあなたが本当に望んでいることから恐怖心によって妥協させられている感情である。

いや、そうではないということであれば、それはそれでスローライフ雑誌やロハス雑誌を見ながらオススメ商品を買えばいい。でもそれは、今まで買っていたA店からロハスっぽいB店で買い物をすることになっただけじゃないことを祈る。

流行的に消費行動がコントロールされているのならばロハスは単なるキャッチフレーズだ。でもそれがロハスへの入り口となってくれればいいとは思う。

ただお願いだ!入り口だってことにくらい気付いてくれ・・


もっといいもの、キモチいいもの、最高の体験を
ロハスユーザーはとにかく貪欲に本物を見極めれるようになりたい。流行ではなく、自分が自分であるための理由が本物になること。
自己開発からパラダイムシフトに気付き、自分を薬漬けにせずピュアな体にし、そして他人や自然や地球と気持ちいい体験を共有する。そこまでくるとロハスハイエンド!もうそこには感動と感謝以外になにもない。本物の気付きとは「ありがとう」としか言えない状況にある。

ロハス発祥者は、自分たちの経験が宗教的にならず、迷信的にならず、そしてスピリチュアルカルチャーなオルタネイティブに沈まないように、社会に送り出そうとした。そう市場経済社会でそのフィールドを作り出そうとしたわけだ。

だから流行でもいいんだけど、消費者はそれが流行ではないことに気付きながらロハスになりきることが重要だ。


これからの2極化
俗な領域とロハスな領域はこれから2極化していく。
全体が改善に向かうことは無い。俗でスピードな領域は、破滅すれすれまでその回転を速めていくだろう。快楽は頂点を極め、欲求が満たされる歓びを謳歌し、そして永遠とも思える刺激への欲求はやむことをイメージできない。
ロハスな領域は、感動と感謝のパラレルワールドに踏み込み、昇華されることがエンターテイメントとなり、スパイラルに新しいバイブレーションを体験し、新しい人々を巻き込んでいく。本当のスマイルを誰でも発信できるようになり、言語は無くなる!

このどちらもが存在しているのが21世紀の地球!


権力者も資産家も2極化していく。

しかしこれら対等のものが戦争をすることは無いだろう。
もしかして、これら対等のものどおしは見えなくなるかもしれない。
これら対等のものどおしがすれ違うことはなくなるかもしれない。
そして言葉も通じないかもしれない。
お互い見えなくなるかもしれない。


どちらに行ってもキモチイイ!

パーマカルチャー的ビジネス構造

サスティナビリティだのロハスだのと、そのマーケティング手法やビジネス手法に流される前に考えておきたいことは、その根底となる哲学(コンセプト・考え方)がどのように変化し、将来にわたって良くなっていくのか。

持続性社会(サスティナビリティソサエティ)が必要だと、右肩上がりばかりを追い求めてきた反省も垣間見られるようになってきたビジネスの世界も、やはり右肩下がりを受け入れるような勇気はまだなさそうだ。
ただ、それが下がりつづけない。もしくはゆるやかな右肩上がり、波そのものが水平を保ちさえすれば、、、とかそんな感じはする。

ただ根本となる哲学を受け入れるとそれらの恐怖がバラ色の将来を垣間見せてくれる可能性があるのがパーマカルチャー論理だと感じる。


■三層の利他構造
それがパーマカルチャーや自然農法といった手法の中に見出されるこの三層の利他構造がすばらしい。
つまり自分の摂取するエネルギーがあって、自分があって、そして排出するエネルギーがある。この3つの3層が、他のモノと結びつきループしていく。
つまり排出されたエネルギーが他者の摂取するエネルギーとなりループするという考え方。

概念的にはわかりずらいけど、結局無駄が無いという視点がある。つまり捨てているもの無駄に処理しているものが、他のエネルギーだったり利益になったりする可能性があるという発見が持続性社会のキーポイントとなる。

リサイクルというと一番ピンと来るかもしれないが、リサイクルが第一世代だとすると、このループする概念はわれわれ全てのビジネスや労働、趣味、活動において体系化されることで、コストダウンや余暇の増大、そして、精神的自由の増大につながる可能性があると感じる。


■効率化の本質
一見効率化が進んでいるように見える社会も実は非効率に動いている。それは各固体、各組織、各コミュニティ内における効率化が進んでいるだけで、それらをとりまく関連性や社会性といった広範囲においてはまだ非効率になる。
実際この「非効率」や「無駄」といったものが資本主義社会の原動力でもあるから、資本力のある人や組織が、そのような社会的効率化を望むはずもない。

ただ、ITの進化はこの社会的効率化を叙叙に達成しようとしているかもしれない。ある著名なコンサルタントはIT化が資本主義を潰すと言われている。

取引関係や依存関係、そして顧客との関係。こういった組織をとりまく相手の効率化と自己の効率化のシンクロが達成されることが、上記の三層の利他構造を達成することになる。
一見困難な感じがするが、お互い全てがWinWinWinになるのがサスティナビリティの基本となる。したがってそれを追求することは、とても大切だ。今までの無駄がいったい誰のエネルギーとして活用されるのだろうか。
これは決してお金の流れだけではない。労働力や企画案や営業、消費行動、そして家族計画にいたるまで活用できるはずだ。


ただ事例もないし、それを体系化してくれるコンサルタントもいない。
それを知っているのは誰か?


実は、自然農法実践者やパーマカルチャリスト。


彼らはそのノウハウを自給環境において実践済みだ。それを社会的に拡大解釈する翻訳者の到来が求められているのかもしれない。

結構将来は明るい!

繊細なものが社会不適合者となり、、

最近の風潮として、不登校やひきこもり、うつ病、ニートとメンタルな悩みをかかえ、社会生活をおくれない人が多くなってきている。
その原因は人それぞれだと思うけど、ひとつ気になる点は、その人々は本当におかしいのか!?病気なのか!?ということである。


バグ
生活環境や仕事環境、学校環境において、他人やコミュニティとの関係性を保てなくなるということが発端になるとは思うけど、社会適合者=正常、不適合者=病気という公式に疑問を感じる。

今の社会に適合しているものは、きっぱりとマインドコントロールされている人だ。
働いて税金を納めるために動かされている。そしてそれに気付かないようにスクリーンに張り付いている。そして人々の関心ごともきめ細かくコントロールされている。
それに何の疑問も呈さない人は、社会適合者として毎日楽しく過ごしている。

反対に繊細な感性の持ち主は、そのマインドコントロールに対して違和感を感じている。そしてその感覚はシンクロニシティして、同じように繊細なもの同士が違和感から嫌悪感、そして「おかしくない?」と感じている。
そんな人がコントロール下に置かれている適合者とうまく接することができないのはあたりまえである。
自覚しているものが他のロボットと同じように、ロボットの真似をしなさいと言われているようなものだ。少しでもルールから反するとそれはバグとして解釈され、全てのロボットは同じような偏見のまなざしをおくるだろう。

自覚しているものは、それが「おかしい」ので正常な行動を求めて「自分で考える」。
つまり「バグ」はプログラムミスではなく、「新機能」なのだ。そうマニュアルにはまだ記載されていないのでコントロール不可である。

移動
さてこれからの潮流としては、その「自分で考える」「新機能」は、それぞれの機能を持ち寄った新しい社会を作り出すだろう。
しかしまずはその社会は、コントロール下に置かれた社会との共存を目指すだろう。
自覚を促すメッセージも去ることながら、そのティッピングポイントに達するまでは新しい社会構造を模索しつづけることになる。
ティッピングポイントとはマーケティング用語である。ある数量まで情報が行き渡ると突然その情報が広範囲に伝わりだすというものである。これは日本では「101匹目の猿現象」とも言われているもの。


新しい社会構造とは
「自分で考えた」果ての社会構造とは、自分達自身に気がつくことから始まる。
つまり自覚ということになるが、その地域地域で、自分が属するコミュニティ、そして資源や地域資産といったものが急に輝きだすだろう。
これまでの社会構造が情報主義、そして中央集権化で世論や流行によってコントロールされていたけれど、これから自覚さえすれば「いいと感じる」モノに対して「いいと感じる」ことが先導される。つまり、「自分で感じる」ことができるようになるので、中央集権の価値が下がりだす。「中央に教えてもらう」必要がなくなるからだ。そして「中央の教え」がコントロール下にあったことが悟られるわけなので、機能しなくなる。

それは働くという行為そのものも変化する。

勤める=働く が、生きる=働く に変わる。
プライスレスな楽しみがこの世にたくさんあることに盲目にされており、全ての楽しみは金で解決できる、金が必要とインプットされてきたことに対して、自覚する後の現象だ。資本主義社会は経済中心。経済とはお金が右から左へリレーされるスピードが速くなるほど景気が良くなる。
つまりお金の必要ないものは全て無意味なのだ。つまりプライスレスな行為は全て無意味で敵であるからそれに対して盲目的になるようにコントロールし、有料でサービスすることの方が高価値であると宣伝を続けてきた。


しかし自然な行為にお金という人為的な機能は本来必要ない。


自然な行為とは、

生まれて、覚えて
食べて、楽しんで、悲しんで、感動して、恋愛して
生活して、働いて、子供を産んで、教えて、伝えて、
死んでいく

ことである。


お金
一定のコミュニティの機能を効率的に不公平感無しに成り立たせるための画期的な発明である「お金」は、今や一番高価値なものとして君臨してしまったかのようだけど、「自覚」に対して「お金」の威力は逆にコントロールされてしまうことになるだろう。

お金はこのまま高価値な道具として活用されていく
しかしお金の意味が変化していく。

お金よりも高価値な商品やサービスが登場してくるからだ。
お金をいくら支払ってもそれは売ってくれないだろう。
では対価を何で支払うのか。それは、真摯な労力であり時間である。

真摯な労力と時間は、そのサービスをゲットできる以外に、
とてつもない「自覚」と「体験」をもれなくおまけでついてくる。

そう「お金」でサービスを得ていた時代よりも、
素晴らしいということになってしまう。
つまり「お金」で支払うよりも「参加」することのほうが、得られるものが多く楽しいからだ。
お金はもっと利害関係の少ない小遣い程度の取引にしか活用されないかもしれない。
そうこの「参加」ということが 生きる=働く
の図式となる。


「参加」を促すにはまず「自分で考える」必要がある。コントロールされない自分が参加する必要があるからだ。ピュアな自分。
だから、現在の社会不適合者はその繊細な感性をもっと「自分で考える」=「自分で感じる」必要がある。「参加」して取引するという次世代経済の牽引役として、社会に属している暇は無い。


場所
明らかに汚染されている場所とは、生きるのにお金が必要な場所だ。
固定費であったり、食が自給できないといった。
最低限の社会的責任における固定費と食の地産地消が実現できるコミュニティが、各地にできつつある。
見えないか!?見えないかもしれない。
でもお金を払ってもそこには入れない。
そう「参加」して初めて入れる。そして「参加」することはとてつもなくハッピーである。

自分が自由になるために自然を自由にする

自然を拘束すると、自分も拘束される

パーマカルチャーを習っていると、その自然の営みとどのように共存するかという視点がなんとも素晴らしい。と書いてみると、なんだかエコ推奨者の勝手な持論展開と思われそうだが、あまり詳しく書く気力もないし、とにかくそう感じているとだけ伝わればいい。

つまり、自然が自然であることが、自分達の労力を減らしてくれることになる。
または、自然の労力と自分の労力との共同作業にするといった考え方。

例えば畑は、雑草の世話や水の世話、成長の世話と、人は大変な労力をそこに使うわけだけど、本来植物も勝手に成長して子孫繁栄に努める生き物なので、世話をせずとも勝手に成長するわけである。その成長できる環境を整えてあげるだけで、人は厄介な労働のほとんどから解放されるわけだ。

そう、野菜は虫に食われるし、収穫率も高くない。
でも農業が収入源でない限り、それは問題にならず、収穫したものを食べればいいだけのこと。しかし、虫に食われた野菜は勝手に肥料になって来年の種をそこに撒く。そんな営みの循環の中に生活することが、楽チンなわけである。


自然の解放をコントロールするテクニック
太陽とか風、雨や小川等の水の流れ、そして動物や昆虫の営み。
それが全てエネルギーである。少し工夫すれば、電気・ガスと同じような、エネルギーに化ける。

自然を解放するテクニックとは、先人から伝承されてきている知恵を学び、自然界に依存するということかもしれない。
住環境を限りなく、自分主体にコントロールしようと、電化製品等でボックスに収まっているような生活でなくても、暑いときには涼しくなる、寒いときには暖かくなるといった自然の作用も工夫をすれば活用できる。

自然は、そうやって様々な効能を我々に与えてくれる。

全ては商売のため

その便利で快適な自然との共存が失われつつある原因は全てビジネス主体にある。そう、工業製品の最大のライバルは自然だった。巧妙なマーケティング・宣伝活動において、無言の自然に大差で勝ってきた。
自然が便利で楽チンということがみんなに知れ渡ると、その会社の製品が売れなくなるわけである。じゃあ、どうするのか。考えなくてもわかるだろう。


しかし、自然が無言のままだまっちゃいない。
テレビやインターネットを通じた宣伝活動をしないでも、我々とつながっている最大のネットワークがあった。そう我々自身も自然体であったという事実である。

感じてしまう。

インスピレーションかもしれないし、シンクロニシティかもしれない。

地味な宣伝活動である。


みずから

自ら(みずから)。この「自」という感じはどういう意味なんだろう。
自分、自由、自然、どれにもついている。
これらはきっと同じような状態を意味しているんだろう。
個々が全体となって自となる。そんな感じ。

ロハスに移行という自由

パラダイムシフト

自由という言葉の意味が、より輝くシチュエーションがロハスだ。
自由が「解放」や「自分勝手」「しがらみが無い」といったネガティブな発想からもう少し賢くなり、「気付き」や「思い出す」といった要素がある。

気付き
「気付き(Awareness)」とは目覚めるとか、発見といった意味を含み、自分の固定概念や、自分の殻、自分の枠組みといった、自分自身が勝手に妄想していた限界を突き破るという体験そのものだ。
人はあらゆる場所に営み、様々な知恵をもって、多くの価値観をもっている。自分が勝手に作っていた殻に気付いて、発見して、その外側を見ようと思うこと、意識することに目覚めれば、それ自体が自由でハッピーだ。


そう、「こうしなければならない!」と思っていたことは、「そうではなかった!」のだ。
少なくとも「そうではない」という価値観がこの世に存在している。
それを受け入れるのか受け入れないのか、どちらを選択するのも自由だ。ただ大切なのは、「選択枝が存在した!」ことに気付くこと。

思い出す
人は生きているうちに、様々なヒントを得ている。それは生まれてきたときから始まっている。子供の頃の記憶や行動、欲求には、無垢なアンテナが受信した「生きるヒント」が詰まっている。
安定した生活や、社会的あたりまえの生活、無難な人生。それを選択するのもいい。でもそれが物足りないのであれば、「思い出す」ことから始めよう。そう「そうしたかったんだよ!実は・・・」そんな記憶がたくさん詰まっているはず。

そして、もうひとつの大切な「思い出す」は、自分が人であるということ。
社会生活では、経済的にも心身的にも様々な不安を背負って生きている。しかし、そのような不安は人としてもともとあったものだろうか!?
もしそれは違うと感じたのであれば、その不安は幻想かもしれない。もっと自然体に生態系の一部としてのヒトとして、あたりまえに生きていける。そんなストレスフリーな生活を思い出せないか!

DNA--そう、そこに刻まれているのは、ヒトとしての自然な記憶と知恵。最近取得した知識ではなく、ヒトにももともと太古からの知恵が刻み込まれている。それを思い出す手段がこの世にはある。そしてそれを思い出させてくれる人が大勢いる。
なぜ、思い出せなかったのかは、それを意識していなかっただけのこと。

今からそのアンテナを張ってみよう。そうすると「思い出す」きっかけは続々を目の前を通過する。そしてそれはなんとも楽チンで、ハッピーで豊かなものだろうか。

頭だけで考えずに、DNAの知恵をもって、感性で選択する。
そこに新しい意味での自由がある。素晴らしい!


つづく・・・

ロハスに移行という考え方:1

マインドリゾートのテーマは、超俗社会で生きてきた人が、超ピュアで素直な自然人に回帰するということである。
どちらがいいということではなく、それを志した人、志したい人が多くなってきているという現実において、様々なしがらみや恐怖、安心に後ろ髪を引かれつづけないようにすればどうすればいいのか!?ということをまじめに考えたいわけである。

一見アウトロー的な解釈であるかもしれないが、それは俗社会から見たアウトローであり、人として見た場合それがピュアで自然ではないだろうかと思う。



一番簡単に気付ける方法はやはり旅だと思う。旅行ではなく旅。
自分で決めた自分だけの旅において、自分の社会と違った社会で生きる人に接することが、自分の社会のいいところと悪いところを、浮き彫りにさせてくれる。
それをどのように解釈するのかは人それぞれだけど、共通するところは、変化というものが存在し、それを受け入れるのか入れないのかの選択をしなければならないということかもしれない。


これはつまるところ自己探求である。
そうロハスに移行するには、まず自己探求において、素直な自分を発見することが、自分に変化を受け入れさす安心と自信を与えて、モチベーションをアップさせることができるからだ。気付きという意味においては、旅と共通する部分でもある。自分探しの旅と言うこともあるけど。

自己探求というのは、自分の価値を明確に自分で把握するという行為に帰結する。自己嫌悪ややりたいことがわからない、さらにはニートや無気力な状態、そして身体的ハンディ。反対に高キャリア、何かの達人、独立心旺盛な人と様々な人に同じレベルの価値というものがある。
それを発揮するということは、自己探求後に、新しい「生活の方法」と「働きかた(稼ぎかた)の方法」を選択することに繋がる。


自由
これらの選択の自由が自分にはある。少なくとも今の日本の社会において幸福なことはこの選択の自由が確かに存在しているという事実である。
その選択の自由を経て、「精神的自由」を獲得し、実際の行動によって「時間的自由」と「経済的自由」を手に入れることができる。
この自由のサーフィンこそ、「ロハスに移行」そのものの過程である。


フリースタイル
自分にとってのフリースタイルを生み出すことは簡単でもあるし、困難でもある。しかし結局それを簡単にするのも困難にするのも、その原因は自分にしかない。
捨てたり、変化させたりするには、犠牲があったり、恐怖があったり、根性が必要であったりするわけで、でもそれらは結局お化け屋敷と一緒だ。
少し経過すれば、出口に出る。
お化け屋敷と違うところは、出口に出たときに、また同じ現実世界に出るのではなく、違った世界に放り出されるということである。それが楽しいのか楽しくないのかも個人の問題であるけど、結局そのような冒険がエンターテイメントであり、フリースタイルの楽しさであり、そして目的でもある。

つづく・・

マインドリゾートなワケ

マインドリゾートを運営している理由は正直そこで商売をしようと思っているからである。

自分のベースとなるお店であるわけだけど、そのお店の商品を作るまでに、いろいろ調べたり、学習したり、発見したりしたものをアーカイブすることにした。まだ1年たらずだけど、随分と溜まってきている。それが有意義かそうでないかはまだまだ中途半端だけれども、不安は無い。


それを公開するということは、一種の表現であり、自分の得たものを共有・交換できるかもしれないというワクワク感がある。自分達が目指しているところは、豊かなパラダイスであり、バカにされようと移行したもの勝ちでガチに楽しめればいい。

マインドリゾートは、実際のリゾートのような開放感とパワフルさ、快適さ、豊かさ、そして暑い太陽が全てのエネルギーとなってる様を自分達の中に作りだそうという雰囲気。そのための手段と知恵を集めて、実際に人々にナビゲーションできるまでに育てたい。


ストレスの重圧に苦しんでいたり、うつっぽく過ごしていたり、嫌なことが多かったり、自己嫌悪に悩まされていたりとネガティブっぽい人から、もっとよりよいライフスタイルを手に入れたい、もっと自分のしたいことをしていきたい、独立とか起業とか経済的自由を手に入れたいといったポジティブっぽい人まで、現状に満足していないモチベーションが同じであれば、そこはあなたのステージではないわけで、じゃあどこに移行すればいいのかという選択枝は、マインドリゾートにもたくさんある。


自分探しな過程を経て、方向性を見つける。そしてキーワードを辿って仲間や場所やきっかけを探す。そこから実際に行動してみて、楽しいめているかどうか感じてみる。
結果は問題ではない。


しかし、、かなり楽しめそうだ。

ロハス x マニアックス なワケ

もともとがロハスなワケで、もともとがカルチャラルクリエイティブなワケで、自分が変わったわけでもないんだけど、伝える側にまわったとき、マーケティング的にこの「ロハス」なキーワードが社会に出てきたから使ってみた。

ロハスの意味をなんとなく理解されている人には、自分の表現のステージとか言いたいこととか、趣向性なんかが一言で察知してもらえるかもしれないから。


つまりは、自分で自由な選択枝を見つけて、選んで、消費して、作って、より豊かになろうという行動過程そのものがロハスなわけで、その実践者をカルチャラルクリエイティブということにしたらしい。

もっと言うと、地球環境とか健康とかを持続的(サスティナブル)にWinWinでイケるような選択枝が前提であるらしい。

もっと簡単に言うと、「自分の体と家と地域が将来にわたって健康体になるには!?」であって、この健康体ってのは、いかにハッピーで楽しくて、楽チン&ストレスフリーであるかということ。
持続的・サスティナブルというキーワードも旬だけど、これは、競争や利益追求による、敗者や略奪、採取というネガティブな側面を無くし、自然の変化に追従しながら必要なものを必要なだけという原則にしたがって行動するというWinWinの発想。


そこでその目的じみた「自分たちの体と家と地域がサスティナブルにハッピーで楽しくて、楽チン&ストレスフリー!」というある意味現実逃避的理想を真剣に追求してみようという行動過程を楽しむ行為をなんとなくマインドリゾート的ロハスだったりする。


目の前の生活不安がいかにしょうもないものかに気付いて、理想を実際に行動してみるというライフエンターテイメントである。


そんなことを、共感できる人たちとわかちあいたいわけであります。

さて新宿という大都会で、ジャンキーに食生活を送り、プロジェクトマネジメントなんて仕事をしながら、時々センスオブワンダーを感じ、時々放浪するような中から、「経験」「知識」「出会い」「きっかけ」をレポートして「移行の実際」を記録していきます。

先に行く人を敬い、ついてくる人はWelcome!

さ、はじめましょう、、、 syn.

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